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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)7580号 判決

原告 真野源一

右訴訟代理人弁護士 荒井金雄

右同 神山美智子

被告 株式会社大光相互銀行

右代表者代表取締役 駒形十吾

右訴訟代理人弁護士 小川契弐

右訴訟復代理人弁護士 永松素直

右同 小山勉

被告 増田学

右訴訟代理人弁護士 永松素直

右訴訟復代理人弁護士 小山勉

主文

(一)  被告株式会社大光相互銀行は原告に対し、別紙目録記載の土地及び建物につき、

(1)  東京法務局杉並出張所昭和三九年一二月九日受付第三四、一〇一号をもってなされた根抵当権設定登記

(2)  同出張所同日受付第三四、一〇二号をもってなされた停止条件付所有権移転仮登記

(3)  同出張所同日受付第三四、一〇三号をもってなされた停止条件付賃借権設定仮登記

の各抹消登記手続をせよ。

(二)  原告の被告増田学に対する請求は、これを棄却する。

(三)  訴訟費用は、原告と被告増田学との間においては全部原告の負担とし、原告と被告株式会社大光相互銀行との間においては、原告について生じた費用を二分し、その一を同被告の負担とし、その余の費用は各自の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告)

主文(一)と同旨の判決並びに「被告増田学は原告に対し、別紙目録記載の土地及び建物につき、東京法務局杉並出張所昭和四〇年八月二三日受付第二四、五九八号をもってなされた所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決。

(被告ら)

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二、請求の原因

(本位的請求原因)

一、別紙目録記載の土地及び建物(以下本件不動産という。)は原告の所有である。

二、しかるところ、本件不動産については、被告株式会社大光相互銀行(以下被告銀行という。)のため、次のような登記がなされている。

すなわち、訴外株式会社二見製作所(以下二見製作所という)が、昭和三九年一一月三〇日被告銀行との間に相互銀行取引契約を締結するについて、原告が右二見製作所の連帯債務者となり、かつ債権極度額を金一、〇〇〇万円とする根抵当権を設定した旨の登記が東京法務局杉並出張所昭和三九年一二月九日受付第三四、一〇一号をもってなされ、ついで同出張所同日受付第三四、一〇二号をもって、右根抵当権設定契約の債務不履行を停止条件とする同月五日付代物弁済契約にもとづく停止条件付所有権移転仮登記、さらに同出張所同日受付第三四、一〇三号をもって、右根抵当権設定契約の債務不履行を停止条件とする同月五日付設定契約にもとづく停止条件付賃借権設定仮登記がそれぞれなされている。

三、また、本件不動産については別に、東京法務局杉並出張所昭和四〇年八月二三日受付第二四、五九八号をもって原告から被告増田に対し同年同月二〇日付売買を原因として所有権移転登記がなされている。

四、しかしながら、原告は、右第二項、第三項記載のような各契約を締結したことも、各登記をしたこともなく、また何人に対しても右のような契約ないし登記をするについて代理権を授与したこともない。

よって、原告は被告らに対し、当該被告らのためになされた右第二、三項記載の各登記の抹消登記手続を求める。

(予備的請求原因)

一、被告銀行に対し

仮りに、本位的請求原因第二項記載の各契約が有効に成立したものとしても、被告銀行の二見製作所に対する前記相互銀行取引契約にもとづく貸金債権はすでに弁済されて消滅しており、かつ右製作所はすでに倒産していて再び右両者の間に右契約にもとづく債権債務関係の生ずる余地はあり得ないし、また右製作所の被告銀行に対する右契約にもとづく残存債務の弁済者は本件不動産の第三取得者で、その者が自己所有の不動産の抵当権者となることはあり得ないから代位弁済の規定も適用されない。いずれにせよ、被告銀行を権利者とする本位的請求原因第二項記載の各登記は、存続の根拠を失っているから、その抹消登記手続を求める。

二、被告増田に対し、

仮りに、原告と被告増田との間に二見製作所の代表者中田静男を原告代理人として本件不動産の売買契約がなされたとしても、被告増田は、もともと右不動産を買い受ける意思を有していなかったもので、単に買主の名義を右製作所に使用せしめたに過ぎないものであるから右不動産の所有権を取得しない。したがって、原告から被告増田に対し昭和四〇年八月二〇日付売買を原因としてなされた本位的請求原因第三項記載の所有権移転登記は右中田が二見製作所への債権者の追及を避けるため売買を偽装してなしたものに過ぎず、実体関係に符合しない無効の登記であるから、その抹消登記手続を求める。

(被告らの答弁)

一、被告銀行

(一) 本位的請求原因第一項及び第二項は認める。

(二) 予備的請求原因事実はすべて否認する。

二、被告増田

(一) 本位的請求原因第一項につき、原告がかつて本件不動産を所有していたことは認める。同第三項は認める。

(二) 予備的請求原因事実はすべて否認する。

被告増田は、昭和四〇年八月二〇日原告代理人二見製作所から本件不動産を実際に買い受けたものであるから、右不動産につき原告から被告増田に対し同日付売買を原因としてなされた所有権移転登記は仮装のものではなく、実体関係に符合したものである。すなわち、同年七月ころ原告から本件不動産の売却に関する代理権を授与された二見製作所代表取締役中田静男は買主の探索に奔走したが、右不動産にはすでに被告銀行を権利者とする主文(一)掲記の各登記がなされていたため買主が容易にみつからなかったので同製作所の取締役である被告増田は、同年八月二〇日個人として、原告を代理する右製作所から右不動産を金四八〇万円で買い受け、代金としては、訴外小泉晴見から金四〇〇万円を借り受けて原告代理人たる同製作所に支払うと同時に右四〇〇万円の担保として本件不動産につき抵当権を設定し、また残代金八〇万円は被告増田が同製作所退職時に取得すべき退職金請求権と対当額につき相殺をして原告代理人たる同製作所に弁済を了したのである。

第三、被告らの抗弁

一、被告銀行――本位的請求原因に対する抗弁

(一)  訴外エム・アンド・ティ通商株式会社(以下エム・アンド・ティ通商という。)の代表取締役真野寅明(以下寅明という。)は、二見製作所が昭和三九年一一月三〇日被告銀行との間に相互銀行取引契約を締結するについて、実父である原告の代理人の資格で同年一二月五日右契約にもとずく同製作所の貸金債務につき連帯債務を負担し、かつ原告所有の本件不動産に対し債権極度額を金一、〇〇〇万円とする根抵当権を設定すると同時に、右不動産につき被告銀行との間に右根抵当権設定契約の債務不履行を停止条件とする代物弁済契約及び賃借権設定契約を締結し、それぞれ主文(一)掲記の各登記をなしたものであるところ、右寅明は右各契約を締結するについて、当時原告を代理する権限を有していたものである。

(二)  仮りに、寅明に右の代理権限がなかったとするならば、表見代理の成立を主張する。すなわち、原告は、寅明の実父であるところ、かつて右寅明に対し、「使い途があったら使ってもよい、ゆくゆくはお前のものになるのだから」など話して本件不動産の権利証及び原告名義委任状等を交付しておいたもので、寅明はこれを所持し原告の代理人の資格で被告銀行との間に前記のごとき各契約を締結したものであるから、原告の右権利証等交付行為は明らかに第三者に対し寅明に代理権を授与した旨表示したもので、民法第一〇九条の責任を負うというべきである。

(三)  また、原告は、エム・アンド、ティ通商設立以来の取締役であったのであり、商法第二六六条第三項の類推解釈上本件原告は取締役として、代表取締役たる寅明の会社の営業に関する行為にはことごとく賛成したものと推定されるべきであるから、原告は寅明が右行為に関して第三者に与えた損害については連帯して損害賠償をなすべき責任があるし、もし寅明の行為を知らなかったとすれば、知らなかったことに重大な過失があるから、商法第二六六条ノ三による責任を負うべきである。したがって、原告の被告銀行に対する本訴請求は、結局理由がないことになる。

二、被告増田――本位的請求原因に対する抗弁

(一)  昭和四〇年八月二〇日二見製作所が原告の代理人として被告増田に対し、本件不動産を売り渡したものであるし、また、当時右製作所は原告から右不動産売却に関する代理権を授与されていたものであって、このことは、原告が同製作所に右代理権を授与する旨の表示ある「建物及土地売却明渡承諾書」(以下、承諾書という。)と題する書面の自己氏名下に実印を押捺した事実により明らかである。

(二)  仮りに、右主張が認められないとしても、表見代理の成立を主張する。すなわち、原告は寅明に対し、使い途があってもよいとの趣旨で本件不動産の権利証等を交付しておいたもので、同人がこれを二見製作所に交付し、同製作所においてこの権利証等を所持し原告の代理人の資格で被告増田との間に右不動産の売買契約を締結したものであるから、原告は、民法第一〇九条ないし第一一〇条の表見代理の責任を免れない。

(原告の答弁)

一、被告銀行の抗弁に対し

抗弁事実第一項中、本件不動産に主文(一)掲記の各登記がなされているとの点は認めるが、寅明が原告を代理する権限を有していたとの点は否認し、その余の事実は不知。同第二項中、原告が寅明の実父であるとの点は認めるが、寅明に対し「使い途があったら云々」と云って本件不動産の権利証等を交付したとの点は否認し、その余の事実は不知。原告は寅明に対し右権利証等を見せたことはあるが交付した憶えはなく、寅明が無断で持ち出し使用したものであるから代理権を授与した旨表示したことにはならない。同第三項中、原告がエム・アンド・ティ通商創立以来の取締役であるとの点は認める。

二、被告増田の抗弁に対し

抗弁事実第一項中、承諾書の原告氏名下に実印を押捺したとの点は認めるが、その余の事実は否認し、同第二項中、原告が寅明に対し使い途があったら使ってもよいとの趣旨で本件不動産の権利証等を交付したとの点は否認し、その余の事実は不知。

第四、原告の再抗弁

一、被告銀行の抗弁に対する再抗弁

仮りに、代理権を授与した旨の表示行為ありとしても、被告銀行が寅明の代理権の有無につき直接原告に照会して確認しなかったことは金融機関としてまことに軽卒で過失があったものというべく、したがって民法第一〇九条の表見代理の法理の適用は当然排除さるべきである。

二、被告増田の抗弁に対する再抗弁

仮りに、承諾書に捺印したことにより代理権授与の意思表示があったものとしても、

(一)  右意思表示は、錯誤により無効である。すなわち、昭和四〇年八月二日夜八時ころ原告方において二見製作所代表取締役である中田静男らが原告に対し、「この書類は本件不動産が第三者の名義に変るのを防ぐために必要だから捺印してほしい」と要求したので、原告はそのように信じ、かつ当時たまたま来客中でしかも薄暗い玄関で眼鏡をかけずに一寸見ただけでその内容を全く了知しないまま捺印したが後になって右承諾書の内容が本件不動産の売却に関する代理権を二見製作所に授与する趣旨のものであることが判明した。したがって、承諾書に捺印したことによる原告の右意思表示は、その重要な部分に右に述べたような錯誤があり、無効である。

(二)  また、右意思表示は、前記中田静男らの詐欺によるものであるから、原告は右意思表示を取消す旨の意思表示をした。すなわち、右中田らは承諾書の内容を了知していない原告に対し、前記のような虚偽の事実を申し向けて欺きその旨原告を誤信せしめたうえ、右承諾書に捺印せしめたものである。

よって原告は二見製作所に対しさきに口頭で右意思表示を取消す旨の意思表示をした。なお、被告増田は右二見製作所に勤務するものであるうえ、同製作所に売買代金を支払って本件不動産を買い受けた事実は存在しないのであるから善意の第三者ではない。

(被告増田の答弁)

原告の再抗弁事実第一項中、原告が承諾書に捺印した際来客中であったとの事実は認めるが、その余の点は否認し、同第二項はすべて否認する。原告は代理権授与の意思表示を詐欺によるものとして取消したと主張するが、二見製作所は右取消の通知に接していないし、また原告は承諾書を茶の間まで持って行きそこで捺印してきたものであり、したがって原告としては当然右承諾書の内容をよく了知していたものとみるべきであるから、詐欺による取消、錯誤による無効の主張は失当である。

第五、被告増田の再々抗弁

仮りに、原告が承諾書に記載されている内容を了知しないまま実印を押捺したことが事実だとしても、原告が右承諾書に捺印した行為には重大な過失がある。すなわち、およそ書類に捺印する場合、なかんずくそれが実印による場合にはあらかじめその書面の内容をよく検討、了知のうえ捺印すべき注意義務があるのに、原告が右注意義務をつくさずして漫然本件承諾書に実印を押捺したことについては表意者たる原告に重大な過失があったというべく、したがって原告は自ら錯誤による無効を主張することはできない。

第六、証拠関係 ≪省略≫

理由

第一、被告銀行(本節では、以下単に被告という。)に対する請求について

一、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠は見出し得ない。すなわち、

エム・アンド・ティ通商と取引関係があり、債権者でもあった二見製作所の代表取締役中田静男は、エム・アンド・ティ通商の代表取締役である寅明に頼まれ、同社の訴外天野勝男に対する負債四〇〇万円ないし五〇〇万円の弁済のための金融を被告に斡旋したが、同社の業績が浅く不成功に終ったので、同社から担保物件を提供させることとして自社名義で被告から融資を受けることとし、結局、昭和三九年一一月三〇日被告との間に相互銀行取引契約を締結し、これにつき右寅明は、同年一二月五日原告の代理人の資格で、被告川口支店に勤務する訴外佐藤政司を通じて被告に対し、右二見製作所の負担すべき貸金債務につき原告名義で金一、〇〇〇万円を限度とする連帯保証債務を負担し、かつ原告所有の本件不動産に対し債権極度額を金一、〇〇〇万円とする根抵当権を設定し、さらに同日付で被告との間に右抵当債務を担保するため、右不動産につき右根抵当権設定契約の債務不履行を条件とする停止条件付の代物弁済契約及び賃借権設定契約を締結し、これらにつき原告を登記義務者とする各登記をなすことを承諾し、その登記申請を代理人によってなすのに必要な原告名義の委任状及び印鑑証明を右中田又は右佐藤に交付した。

しかして、本件不動産が原告の所有で同不動産につき本位的請求原因第二項の各登記がなされていることは当事者間に争いがない。

二、そこで寅明が原告のために前記のような代理行為をする権限を有していたかどうかについて考えてみると、そのような代理権限の存在を肯認するに足りる証拠は存在せず、却って≪証拠省略≫を総合すると、寅明はそのような代理権を有していなかったことが認められる(原告が寅明の父であり、またエム・アンド・ティ通商創立以来の取締役であったことは当事者間に争いがなく、また≪証拠省略≫によれば、他の取締役武井良夫や代表取締役である寅明が、右会社の負債のためそれぞれ私財を担保に提供していた趣がうかがわれるけれども、そのことが直ちに原告が本件における被告への担保権設定等を了解して前記代理権を寅明に授与したとの認定に導くものではない。後段認定のように原告は寅明に権利証を交付していたのであるから、原告としてはそれなりに取締役としての、また父としての、気持から行動していたものと見ることができる。)。

三、進んで、表見代理の成否を見るに、被告は、寅明の持参した権利証等は原告が寅明に交付しておいたもので、右権利証等交付行為は代理権授与の表示というべきであると主張し、これに対し原告は右権利証は寅明が勝手に持ち出したものであるから代理権授与の表示はないと抗争するのであるが、≪証拠省略≫を総合すると、右権利証等は昭和三八年ころ寅明が原告から「使い途があったら使ってもよい、ゆくゆくはお前のものになるのだから云々)との趣旨で預り、これをエム・アンド・ティ通商の債権者であった前記天野に前記債権の担保として交付していたものであり、本件一、〇〇〇万円の融資金中二見製作所を通じてエム・アンド・ティ通商に交付せられた六〇〇万円中相当額が、右天野に弁済された結果、寅明ないし二見製作所に右権利証等が返還されて本件における被告からの融資の担保に使用せられたものであったことが認められる。原告本人は、「権利証は見せただけであって渡したことはない」旨供述するが、原告自身がエム・アンド・ティ通商の取締役であったことに徴し、信用できない。

かようにして、取締役であり実父である原告が代表取締役であり次男である寅明に本件不動産の権利証等を交付しておいたこと自体、原告において第三者に対し右寅明に本件不動産処分の代理権を授与した旨表示したものと評価すべきであるが、原告は、仮りに右表示行為があったとしても被告において右寅明の代理権の有無につき原告に照会しなかったことは金融機関として過失があったと主張するので、さらにこの点につき審案する。≪証拠省略≫によれば、被告川口支店の係員として被告を代理して本件事務を処理した訴外佐藤は担保物の提供者たる原告と寅明が親子の間柄にあることは認識していたが、原告とは全く面識がなかったこと、また原告及び寅明と二見製作所との関係についてもなんら知るところがなかったこと、さらに被告は本件各契約を締結するに先立ち本件不動産を評価する目的で右佐藤ほか一名を原告方に派遣したことはあったが、同人らは寅明の代理権の有無につきその意図さえあればこれが確認は必ずしも困難でなかったのにその挙に出でず、本件建物内において家人から茶菓の接待を受けながら、見取図の作成等も同行した寅明に任せ、原告(当日は不在であった)との面談を希望する意図の表明すらなさなかったことが認められる。被告側にとっては一面識もない原告が被告のため金一、〇〇〇万円もの貸金の連帯債務者になり、かつ物的担保の提供者になるという情況のもとにおいては、たとえ原告と寅明とが親子の間柄であったとしても金融機関として一般人から多額の金員を預かりこれを他に融資することを業とするのを公認せられている被告としては、直接本人である原告に寅明の代理権の有無を確かめる取引上の注意義務を負うものと解すべきであるから、被告を代理した前記佐藤らが、このような措置をとることなく、漫然寅明に前記契約締結の代理権ありと信ずるにいたったことは過失があり、民法第一〇九条の表見代理は成立しないものというべきである。

四、被告はさらに、原告が、エム・アンド・ティ通商の取締役であったことを根拠として、被告に対する損害賠償責任を云々し、よって原告の主張は理由なしと主張するのであるが、被告に対して損害賠償責任を負うとしてもそれは金銭債務であるから、本件登記抹消請求に対する抗弁事由とすることはできない。したがってこの主張は理由がない。

五、結局、寅明が行った第一項の各代理行為は、本人である原告には効力が及ばないから、本位的請求原因第二項の各登記は実体関係に符合しない無効のものであり、原告のその余の主張を判断するまでもなく、本件不動産の所有者である原告が、被告に対し右各登記の抹消登記手続を求める本訴請求は理由がある。

第二、被告増田(本節では、以下単に被告という。)に対する請求について

一、≪証拠省略≫を総合すると、二見製作所代表取締役中田静男は、昭和四〇年八月二〇日ころ原告の代理人の資格で被告との間に本件不動産の売買契約を締結したことが認められ、本件不動産につき本位的請求原因第三項の登記がなされていることは当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、右登記は、寅明が原告の実印を勝手に使用して作成した委任状、印鑑証明を利用してなされたことが認められる。

二、ところで、原告は右のような代理権を何人にも授与したことはないと主張し、これに対し被告は、承諾書への実印押捺から代理権の授与は明らかであると抗争する。そこで案ずるに、右承諾書の原告氏名下に実印を押捺したことは原告の自白するところであり、このことと≪証拠省略≫によって認められる昭和四〇年二月ころエム・アンド・ティ通商に対する二見製作所の総債権額は金七〇〇万円に達し、その弁済のための本件不動産の提供が中田らと寅明との間で交渉されていた事実並びに次段認定のような作成事情から成立を認めうる丙第一号証(右承諾書)の記載内容が「本件土地建物売却に要する一切の行為を二見製作所とその代理人に委任するとともに右不動産を新所有者に明渡すことを承諾する」旨明記したものであること及び原告本人尋問の結果を併せ考えれば、原告が、右債務弁済のため本件不動産売却に関する代理権を二見製作所に授与する旨の意思表示をしたことは明らかな事実として認めることができ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠は存しない。

三、そこで、原告の再抗弁について判断を進める。

原告は、仮りに実印押捺により代理権授与がなされたものとしても、右意思表示は要素の錯誤により無効であると主張し、これに対し、被告は原告には重大な過失があるから自ら錯誤による無効を主張し得ないと抗争する。よって案ずるに≪証拠省略≫から右代理権授与当時、二見製作所の被告銀行に対する前記相互銀行に対する前記相互銀行取引契約に基づく貸金債務は未だ金四〇〇万円近く残存していた事実が認められ、右認定事実と≪証拠省略≫を総合すると、昭和四〇年八月二日夜八時ころ二見製作所代表取締役中田静男は社員西山静男とともに原告の自宅を訪れ、玄関先で、承諾書の記載内容について詳しく説明することはせず、唯「この書類は本件不動産が銀行の名義に変るのを防ぐために必要だから捺印してほしい」との趣旨を告げて原告に捺印を要求し、原告は当時来客中であった(この点は争いがない。)関係から、記載内容を確かめることなく安易に中田らの言を信じてこれに捺印したことが認められる(右中山証言、原告本人供述中右認定に反する部分は採用しない。また、次段(ロ)(ハ)のような事情があることは、必ずしも右認定を妨げるものではない)。したがって、原告は、記載内容を誤信したまま代理権授与の記載ある書面に捺印することにより、真意と異なる表示をなしたものであって、右意思表示には錯誤があり、その錯誤は要素に関するといわねばならない。

四、しかしながら、(イ)およそ他人の提示した書面に実印を押捺する場合、その書面の内容がいかなる事項に関するものであるかをあらかじめ検討し確認することは通常人に期待しうるところであること、(ロ)≪証拠省略≫によれば、右承諾書に捺印する以前から原告と二見製作所との間にはエム・アンド・ティ通商の右製作所に対する債務弁済のため本件不動産を処分することに関し数回の話合いがあり、原告は甲第二、三号証の作成されていることも既に了知していた事実が窺われること、また(ハ)右承諾書の文面はさほど長文のものでもなく、その気になれば容易に了知し得た筈であること等を併せ考えると、当時たまたま来客中であったとはいえ、内容を確認せずに承諾書に捺印したことは、表意者たる原告に重大な過失があるから、原告は右意思表示の無効を自ら主張し得ないものというべきである。

五、次に原告は、承諾書に捺印したのは、中田らの詐欺行為に基因するものであるから代理権授与の意思表示を取消した旨主張する。しかしながら中田らの前記言動を目して直ちに欺罔行為ありとは断じ難いし、他に右中田らに欺罔行為ありと認めるべきなんの証拠もないから、原告の右主張は理由がない。

六、したがって、原告の再抗弁はいずれも理由なく、承諾書の内容は、明渡承諾の点はさて措き、代理権授与の点に関する限り有効といわざるを得ない。そして前段(ロ)のような事情が存在すること及び承諾書の文言から、原告の授与した代理権は、単に本件不動産の売却に止まらず、甲第二、三号証を使用してその登記をなすことをも含んでいたものと認めて差支えないから、被告の本件登記は、その限り、実体上も形式上も有効といわざるを得ない。

七、そこで最後に、原告の予備的請求について判断する。

原告は、被告はもともと本件不動産を買受ける意思がなかったものであるから右不動産の所有権を取得し得ないと主張する。

被告本人の供述によると、二見製作所の社長中田は前記承諾書により原告から授与された代理権の下に本件不動産の買主をさがしたが得られず、そこで、義理の兄弟である中田社長峯松常務及び被告の三者が相談した結果、被告が四八〇万円で買い受けることになり、その代り会社が訴外小泉晴見から借りていた四〇〇万円の債務を引き受け、原告代理人たる二見製作所への代金弁済に充当したというのである。そして、≪証拠省略≫によれば、小泉と被告との間に四〇〇万円の金員借用抵当権設定契約証書の作成せられたこと、二見製作所中田名義で原告に対し、被告への売渡代金四八〇万円の支払債務を同社のエム・アンド・ティ通商に対する債権についての原告の保証債務と全額相殺する旨の意思表示のなされたことが認められるのであって、これらは右被告供述に副うものであるが、他方、成立に争いない甲第一六号各証の被告への到達と右丙第四号証の作成との先後につき、残代金八〇万円の引あてとして主張せられる退職金債権につき、また、本件被告訴訟代理人の選任とこれに伴う費用の出捐につき、それぞれ被告の供述するところを検討すると、被告が果して本件不動産の所有権を取得する真意を有したか否かは甚だ疑問であり、むしろエム・アンド・ティ通商の債権者として寅明及び原告に臨み、原告から前記内容のような承諾書をも得ていた二見製作所の中田としては、二見製作所自身が本件不動産の所有者であるかのように振舞いつつ、会社債権者への顧慮から本件不動産を会社名義とすることを避け、よって会社内部の人間である被告と通謀して被告を買主とするよう仮装したものであったと見る方が、認定事実の全体に即応するといわねばならない。すなわち、被告の買受の意思表示は真意ではなかったと見るべきである。

しかしながら、ここで問題となっているのは売主たる原告の代理人である二見製作所の中田の意思ではなく、買主たる被告の意思であり、このように買主が売主の代理人と通謀している場合に中田の意思を問題として民法第一〇一条を適用するのは、同条が代理人の意思表示の相手方を保護せんとする趣旨の規定であることに鑑み疑問なしとせず、むしろ中田は被告の虚偽の意思表示を原告に伝達する機関となったものと見て、民法第九三条の心裡留保を以て事態を律するのが相当である。そうすると、被告の意思表示は、原告に対して「表意者が、その真意に非ざることを知りてこれを為したる」ものというの外なく、したがって、原告がその相手方として被告の真意を知り又は知り得べかりしものであったのでない限り、被告のこの意思表示は効力を妨げられるものではないことになる。そして、本件の場合、前記のような承諾書を出して代理人に売渡の相手方の選択をも一任していた原告としては、何らか例外的な事態から旧知の者が買主となるような場合以外には、買主の真意を知る機会はもとよりなかったのであり、また本件代理権の授与は代理人たる二見製作所への債務決済のための不動産処分の委任であること前認定のとおりであり、売渡代金も前認定のように右債務弁済に充当されて現実には原告に入手せられないことが期待されたと考えられる以上、原告としては、その授権の有効性を争うことは格別として、何人が買主となるか、その真意如何といった点には関心を懐く余地もなかった筈である。一般にこのような事態でこのような形での売買委任をなした者は、代理人の選んだ買主が所有権取得の真意を有しないことを理由としてはその売買の効力を否定し得ないものと解すべきであり、本件原告の立場はあたかもこれに相当する。したがって、予備的請求もまた理由がないというべきである。

第三、結論

よって、原告の被告銀行に対する本位的請求を正当として認容し、原告の被告増田に対する本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 倉田卓次)

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